2008年 06月 08日
わたしの余命
どきどきときめいて身も心も恋に落ちてしまったかのような状態になる曲がある。
聴いていると、
寂しさがつのり、名残惜しいような気持ちになる曲がある。
聴いている間に、
すべての宿命を喜んで受け入れられる自分になったかのような気になる曲がある。
聴きながら、
もうすとーーんと生きている喜びに満たされる曲もある。
聴くたびに
どうしてここまでつらく悲しいのだろうと身をよじりたくなる曲だってあります。
祈りに満たされる曲もあれば、ざわざわと胸騒ぎが残る曲もあるしいろいろです。
でも、そんなどの曲も弾いているその瞬間にはその曲の中で、「結果がどんな運命だろうと、かけがえないこの瞬間そのものでなければイヤ!!」とまで感じている自分がいて面白いなぁと思います。
10代や20代のとき、なぜかいつでも『あと3年後に死ぬとしたら・・・』なんていう考えがそのときの計画や行動を決めるベースになっていて「その時後悔のないための今日を生きる」ような思いでいました。
時間ではなくて、『これが終わったら死んでも満足かも・・・・』みたいなこともいっぱいあったし、今だって基本的には変わっていないので、時々生き急いでいるように言われてしまうのも「さもありなん」て感じなのです。
でも最近それに加わって来た考えは、
もしあと40年くらい生きちゃった場合はどうしよう!!というものです。
すぐ死ぬ場合のイメージは、大体いつも心の中にあるので、その部分はなくなったわけではないのですけど、最近ぼんやりと、でも相当の勇気を持って『長く生きちゃった場合』を初めて考えてみました。
心の中の抵抗をかなりの強い意志で横に置いてから、ん〜〜〜っと考えてみましたら、「それならそれ用に覚悟を持ってゆっくり始めたいこと、積み重ねたいこともあるっちゃあるな・・・・」と。
どっちになってもいいんですけど、その大きい二本立ての発想は、私にとってなかなか立体的刺激的なものでもありました。
ちなみに、譜読みを始めたドビュッシーのチェロソナタは、心身の奥底の方からえも言われぬ寂しさを引き出して来ます。美しい曲です。
今日もすばらしい一日になりますように!
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